言葉を創ろう

久しぶりにブログの編集画面を開いたところ、最悪のタイトルで更新を止めていたことに気づいた。このまま終わるわけにはいかない。笑

最悪のタイトルの記事は2023年5月11日リリースだ。あれからの私の人生は、「公」に関して言うと絶望続きで、「私」についてはとても恵まれていた。
憧れた業界への転職活動の夢は潰えた。その後も結果は出ず、エージェントとの壁打ちを控えて年を越した。
一方、人生で最も尊い涙を流し、左手の薬指には指輪が増えた。

 

「もっと強い自分になって帰ってきます!」

怪我をしたスポーツ選手がよく使うフレーズだ。個人的には、少し哀しくなる表現だった。だって、怪我をする前の身体の方が強いに決まってるじゃないか。選手生命や健康寿命が削られてしまったのは明白じゃないか。自分が大きな怪我をした時も、そんな風には微塵も思えなかった。

ただ怪我をして以降の私は、再発防止のためのストレッチや筋トレをするようになった。自分の身体の弱いところを理解した措置を取れるようになった。

もしかしたら、ここ1年半に亘る足踏みも、もっと強い自分になるために必要な時期だったのかもしれない。「公」について絶望続きと書いたが、正しいプロセスは踏んでいると自分で信じられている。年収とかネームバリューとかではなく、自分がどう生きていきたいかを実現できる環境で働きたいという思いがブレていない。(この文章を書きながら頭に浮かんだ表現だ。新年早々背中を痛めたのに、PCに向き合った甲斐があった。)だからこそ心が折れていないんだとも思う。

転職活動の一環として、どう生きてきたかを振り返ることが増えた。総じて本当に恵まれていたなと思う。目の前の出来事に一生懸命になれば、それなりに結果が出る何かを授けてもらった。そしてそれ故に近視眼的に生きてきたのかもしれない。ただ、自分の人生を否定するわけにはいかないことにも気づいた。私を信じてくれた人も否定することになる。今の私の人生は、昔の私のように、「頑張れば最後はうまくいく」状況ではないらしい。その「諦念」を受け入れることを昔の私は後退と考えただろうが、今の私は前進と捉えたい。

 

もう一つ、昔の私は、アウトプットの場を広げることをあまり好んでいなかった。単純に(インターネット上の)アウトプットにそこまで興味がなかったのもあるが、新しく始めたことを続けられなくなることをダサさと捉えている節があった。何かしら(私の場合は転職活動)結果が出ていない状況ではアウトプットする資格がないとも感じていた。

ただ、結局自分もブログ更新は止めてしまったダサい人間だ。そして、数年前から色々な形でアウトプットをしていた知人の活動が、去年から今年にかけて花開いた。本当におめでたいなと思うし、見習うべきだなとも思う。

例えばインターネットというオープンな場へのアウトプットに慣れてしまえば、自分の会社というクローズドな場へのアウトプットへのハードルが下がるかもしれない。そもそもの話、最近自分の頭の中から上手く言葉を引っ張り出せないのだ…。

やっぱり時代のトレンドはルーティン化だよな。毎月8日に最低でもブログ書くか(今決めた)(できるかは知らない)(でも宣言しないと始まらない)。

 

「AIタイトルアシスト」が機能しない取り留めのない文章から始めてしまって不安が募る2024年ですが、今年もよろしくお願いいたします。

 

 

<本日の一曲>

ユビサキから世界を/アンダーグラフ

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